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考える人

日本に住んでいると何事においても不便に感じることはほとんどありません。

例えそれが田舎だとしてもです。

 

私は生まれも育ちも地方の田舎で現在も田舎に住んでいますが特に不便だと感じることはありません。

東京や神奈川に住んだこともあります。都会は本当に便利で何でもありますね。便利過ぎて時々その便利さが不便に感じることはありますが基本的には便利です。

 

今時の田舎もどんどん都会の風が入ってきてどんどん便利になっています。

これも住む人のニーズに合わせた結果なのでしょうか?それは分かりませんが、田舎はちょっと不便だなと感じるくらいがちょうどいいと思うのでどんどん便利になっていく田舎が

田舎の良さ

を失っていくような気がして少し寂しくも感じます。

 

海外のことを考えるようになるもっと以前のことです、私は普段の生活で「心が満たされてない」と感じることが結構ありました。

過去のブログで、

 

仕事の給料は安いけど特にお金に困る事はなかったし、趣味としてバイクやゴルフ、トレーニングジムで筋トレとか週末には飲み行ったりショッピングを楽しんだり友達と遊んだりなどそれなりに普通な生活を送っていた

と書きました。

実際に世間から見たこの生活は本当ごく普通の生活だと思うし不満など無いような感じだと思います。

確かに充実しているように思えるんですが、あまり幸せを感じることがないといいますか、

 

生きていることが気持ちいい

とは思えなかったんです。

 

私は思いました、

私は今の自分は「人生を生きている!」と言うより、「生かされている人生。」の方なんじゃないかと。

自分の人生なのに生かされているって言い方は可笑しいかもしれませんね。

多分それは仕事でもプライベートでも常に周りを意識し情報に左右され協調性を第一に考え生活しているからなんじゃないかな?と。

 

例えば、テレビインターネットの情報により食べ物が左右されたり。

流行だからと言ってそれなりの服を買うが流行が終われば着れなくなり着ていると周りから指さされることもあったり。

 

会社では社員として当然の権利である有給は使えない、例え使えても使いづらいから結局使わない。

 

周りに合ってない行動を取ると変わり者呼ばわり。出る杭は打たれてしまいます。

結構周りに干渉されて日々を生きていますね。

何かそういう物全てが本当に面倒くさく感じちゃって。しかもそれが自然と出来ちゃってる辺りがとにかく窮屈。

 

こんな毎日に私は「気持ちよく生きている」とは思えなかったんです。

 

 

スーパーやコンビニで買い物をしたあと店員さんにお礼を言う人って結構少ないんですよね。

自宅付近でも知らない人とすれ違う際目が合ったとしても挨拶することはあまりありませんよね?

電車やバスで困っている人を見かけて進んで席を譲る人ってどのくらいいるんでしょうか?その電車やバスを降りるとき混んでいるのに周りに声を掛けることなく無理矢理降りる人が多いなぁって思います。

ごはん屋さんなどで食べ終わった後に「ごちそうさま」と言う人の割合はどのくらいでしょうか?

挨拶はハッキリと大きな声で、と子供の頃習っているはずで大事だと言う事も分かっているはずなのですが年を取れば取るほど実行している人は少なくなっているんじゃないでしょうか?

そういったことを日々考えたり感じていたりすると、日本ってなんだろう?って思ったり。

 

海外から見た日本人は「親切で真面目で礼儀正しいと言う意見が多いそうですが日本のイメージってなんなんだろう?って思ったり。

 

ですが一つ勘違いしないでください。決して私が親切で真面目で礼儀正しい完璧な人間と言っているわけではありません。私も含めて当たり前ではない行動を無意識に行っている人が多く、そういったこの環境に不安や不満を感じているのです。

 

そこで思いました。

もしも自分を取り巻くこの環境を丸ごと変えられたらどうだろう?

 

もしそれを実現することができたとしたら自分はどう影響を受けるだろう?

 

考え方や感性はどう変わってくるのだろうか?

 

ニューカレドニアで感じた海外の雰囲気を肌で感じながら生きてみたい。

これは今まで経験したことのない世界を感じることが出来る。

 

外国へ住めばまだ見たことのない世界を感じられるはず!

そこにはまだ見ぬ何かあるはず!

まだ感じたことがない刺激を感じられるはず!

自分の人生を「生きている」と感じられる環境を見つけられるはず!

そして新しい世界を見て感じて体験して成長した自分を見てみたい!

 

そういった海外への期待は大きく膨らむばかりでした。

 

 

次回のブログは、「そして海外へ」をお届けします。

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